国指定史跡 武蔵国分寺跡
奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、武蔵国国分寺(僧寺)・国分尼寺の寺院跡です。創建は750年代末から760年代初と推定されています。詔により、国分寺(僧寺)は金光明四天王護国之寺と呼ばれ20名の僧が、国分尼寺は法華滅罪之寺と呼ばれ10名の尼がおかれたそうです。
寺院の規模は、国分寺(僧寺)の金堂を中心に東西2km、南北1.5kmの範囲に広がっていたようで、全国約60カ所に造られた国分寺の中でもかなり大きなものだったようです。古代の官道である東山道武蔵路を挟んで東側に僧寺、西側に尼寺が配置されていました。すぐ北側には国分寺崖線の湧水群があります。これらの南側には参道口があり、さらに南の武蔵国府(国史跡 武蔵国府跡)に通じていました。これらは、鎌倉時代末期の分倍河原の合戦で焼失したようです。
実際に行ってみると、付近は国分寺市内の住宅地ですが、あまりにも広大な緑地が残っていて驚きです。国の史跡に指定されたのは1922年ですが、1965年以降は国庫補助事業として史跡地の買収事業が進み、史跡の3/4ほどが公有化されているそうです。現在も調査が行われており、遺跡自体はほとんど見ることは出来ず、案内の看板のみです。近くにある武蔵国分寺跡資料館には、調査で出土した瓦や土器が多数展示されており、武蔵国分寺七重塔 推定復元模型(1/10模型)もあります。将来、現地に推定復元構造物ができたら、歴史公園として賑わうのでしょうが、現在は静に眠っているようです。
May 2024 Historical Landmark "Musashi Kokubunji" (Old big temple trace) Tokyo, CONTAX645, PhaseOne P30+, Planar T* 80 mm F2.0, Capture One 21 PRO
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