バッハコレギウムジャパン (2022.10) 〜 モーツァルト レクイレム


バッハコレギウムジャパン(BCJ) の定期演奏会、今回は鈴木優人氏指揮によるモーツァルトのレクイレムです。BCJのヨーロッパツアーもスタートする中で、所沢・静岡・初台と続く連日の演奏会の最終日、皆さんちょっとお疲れかなと心配しながら聞きに行きました。
鈴木優人氏指揮による定期演奏会でのレクイレムは、初回 (2018.9) はBCJの首席指揮者就任・記念演奏会、今回 (2022.10) 2回目です。演奏はいずれも優人氏自身による補筆校訂版(2013)で、チケットは今回も完売でした。優人氏の御挨拶もたいへん力がこもっており、今後の企画として出るのではないかと思わせるような逸話もありました。
レクイエム、特にモーツァルト絶筆の曲とされるラクリモーサ(涙の日)は、映画アマデウス(1984年)でモーツァルト死の場面で流れ、たいへん印象深いシーンとなっています。ちなみにBCJのパンフレットの歌詞対訳では以下のような歌詞になっています。
「罪ある人が裁かるるため、灰よりよみがえるその日こそ、涙の日なり。されば神よ、彼を惜しみたまえ。主よ、慈悲深きイエスよ、永遠の安息を彼らに与えたまえ。」

この2回のレクイレムのパンフレットでは、モーツァルトの葬儀や死の前後の状況が解説されています。内容が異なるために、読者としてはちょっと判断に困るのですが、映画アマデウスでは人からは見捨てられたように悲惨な状態で死んでいったように描写されていますが、以下のようにまとめてみました。
晩年のモーツァルトの音楽家としての評価・人気は、オペラ(フィガロの結婚、ドン・ジョバンニ、魔笛など)を除くと、凋落する一方で、ベートーベンの大胆さ・創意溢れる新作が非常に人気をはくしたそうです。以降数十年にわたり、殊更独創性と斬新さ、時によっては奇抜さが求められ、一世代前のモーツァルトの音楽が評価される機会は限られていたようです。
一方で、当時、ハプスブルク帝国皇帝ヨーゼフ2世(マリア・テレジアの長男、マリー・アントワネットの兄)は、葬儀簡素令を発布して埋葬の簡素化を図り、共同墓地への埋葬を促しました。埋葬規定によると、遺体は衣服を着せることなく麻袋に入れられ、遺体を納めた棺桶は遺体を共同墓地の穴に落とした後は、再利用されたようです。モーツァルトの葬儀もこれに従ったものだったそうです。葬儀費用は最も誠実な支援者だった男爵が負担し、モーツァルトの自宅からシュテファン大聖堂まで、葬儀の先導隊、棺、モーツァルトの親族、作曲家のウェーバー一家、モーツァルトの弟子や関係者、男爵、そして映画では悪人として描かれているウィーン宮廷楽長のサリエリも参列していたそうです。また、葬儀から日を空けずに宮廷音楽家たちにとって非常に重要な教会で、モーツァルトの仕事仲間によって死者追悼ミサが執り行われました。この場では、モーツァルトの自筆のレクイエム(現在のレクイエムのごく一部ですが)が演奏されたものと考えられています。ただ結果として、葬儀簡素令によりザンクト=マルクス墓地(ウィーン郊外)で共同埋葬されたために、遺体が特定できなくなってしまいました。
後世のベートーベンと比べると、ベートーベンの音楽的評価は生前にすでに確定しており葬儀も異例の盛大なものとなったけれども、モーツァルトにおいては音楽的な評価が生前には確定せず葬儀簡素令というタイミングの悪さもあり、悲惨な死というイメージが大きくなっているようです。
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