写真家 沢田教一展 ーその視線の先にー(日本橋高島屋)

ベトナム戦争の戦場写真家としてピュリッツアー賞ほか、国際的に数々の受賞をしたカメラマン沢田教一氏。昨年生誕80周年と言う節目で、各種の企画がなされているようです。東京ではこの8月開催で、マスコミでも随分と取り上げられていましたので、出かけてみました。
曜日・時間帯にもよるのでしょうが、私が出かけた際には入場券を買うのにも長蛇の列で少々びっくり。時代は1960年代、やはり中高年が多いです。
心を打たれるのは、ピュリッツアー賞受賞作品である「安全への逃避」に関する後日談でしょうか。単なる決定的瞬間ではなくて、家族の救出、受賞の賞金の一部を携えて記憶も定かでない村々を回って家族を探し出しことと、3度にわたる妻のサタさんの再訪、そして今回の相互訪問(当時2歳の女児、サタさん)など連綿とした流れがあることが(もちろん、マスコミなどの支援があったわけですが)、1枚の写真を通して歴史に翻弄される人間と歴史の流れや重みを感じざるをえませんでした。
帰りに、沢田教一 プライベートストーリー、くれせんと出版部(2005年)を買ってしまいました。展示ではモノクロとカラー写真が混在していますが、モノクロ写真の訴求性に改めて感じ入りました。


戦場カメラマンといえば、「ちょっとピンぼけ」のロバート・キャパ(スペイン内戦、日中戦争、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線、第一次中東戦争、第一次インドシナ戦争)、今回の「ライカでグッドバイ」の沢田教一、「地雷を踏んだらサヨウナラ」の一ノ瀬泰造(ベトナム戦争)などの各氏が有名です。
田中長徳氏によると「キャパからベトナム戦争まで、つまりあのグラフジャーナリズム全盛のヒューマニズムがまだ力を持っていた時代と、湾岸戦争以来の眼に見えない電子戦とでは、スチルカメラのジャーナリズムで占める地位というものが変わってしまったのだ。」(チョートクのカメラジャーナル No.1, 1993年5月)
ちなみに、戦場におけるカメラ機材の伝説的話題としては、一ノ瀬泰造氏の弾丸が貫通したニコンF、「安全への逃避」はニコン嫌いでM3を愛用した沢田教一氏が実はNikon Fで撮っていたこと、またチョートクのカメラジャーナル創刊号では、ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦でアメリカ人カメラマンのコンタックスT2に爆弾の破片が被弾し、新しい「カメラ伝説」の誕生か、と話題提供していました。
最近では、ビデオジャーナリストの山本美香氏が2012年シリア内戦での取材中に殺害されましたが、ビデオジャーナリズムがスチルカメラよりも主流のようです。そうは言っても、NHKの番組(ディープピープル)で、3人の戦場カメラマン(渡部陽一氏・宮嶋茂樹氏・高橋邦典氏)の対談があったりして、再び注目されているのでしょうか。


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