凱旋門やシャンゼリゼ通りを初めとする現在見るパリの街並みは、19世紀中頃に行われた「パリ大改造」と言われる大事業で生まれたもので、皇帝ナポレオン3世の命を受けたセーヌ県知事オスマンが、中世以来の街並みを取り壊して新たに作った都市と言えます。
この展示会は、19世紀前半までの中世的な街並みのパリと、19世紀後半の現代につながるパリの街並みの変遷やそれに伴う芸術の変化など、フランス文学者の鹿島 茂氏のコレクションを中心にして企画されたものです。このような企画は日本ではもちろん初めて、フランスでも無いそうです。
東京も、関東大震災により、それまでの江戸の雰囲気を残した街並みが消失し、近代的な都市としての東京へと移り変わっていきましたが、パリは人為的に、東京は自然災害により大きく変貌したという違いがあります。
素人の私にもパリに行った想い出と重なりあって、なかなか興味深いものでした。たとえば、
■フランス文学者の鹿島 茂コレクション
パリは紀元前にシテ島から始まりました。ルーブル宮殿の歴史などを紹介した本でパリの古い地図(絵図)を見た記憶があるので、いろいろな古地図(絵図)があって、興味が引かれました。ノートルダム寺院は今も昔もパリの中心。遠くに描かれている山は、モンマルトルの丘だったようです。
■パリ市の守護聖人として知られる聖ジュヌヴィエーヴ(5~6世紀の女性)
すっかり忘れていましたが、パンテオンでも観たようで同じ絵葉書を買っていました(苦笑)。
聖ジュヌヴィエーヴの死後、教会が建てられましたが、すっかり荒廃している中で国王ルイ15世により再建が試みられ、結局18世紀末のフランス革命の最中にパンテオンとして完成しました。しかしフランス革命でその遺骸は焼却されてしまったそうです。
■皇帝ナポレオン3世と皇后ウージェニー
「パリ大改造」の立役者です。二人の大きな肖像画がありましたが、ルーブル美術館でも同じような肖像画見たような気がします(たくさんあるのかも?)。
マルメゾン城(マルメゾン国立博物館)でも皇帝ナポレオン・ボナパルトの家系として紹介されています。
■ NHKのBS番組 華麗なる宮廷の后たち「ナポレオン3世皇后ウージェニー」(2010)は見応えがあります。鹿島 茂氏もゲストとして出演しています。
二人とも現代のフランスではほとんど忘れられている存在のようですが、鹿島氏は第二帝政期(1852〜1870年)の重要性を強調していました。政治的には失敗したが(メキシコ出兵の失敗や普仏戦争での敗北と皇帝自らが捕虜に)、パリの大改造がその後のパリの絶対的なブランド化を確立した、という意見は耳を傾けるものでした。
ちなみに、ナポレオン3世(ルイ・ナポレオン)は不潔な街が大嫌いで大の女好きだったそうで、貧民街や路地を大通りに改造し、凱旋門やオペラ座(二人の頭文字 N、E)を作り、建築様式の統一を図り、パリ万博を開催しました(第二帝政の最後の輝き)。普仏戦争の後は家族でイギリスに亡命し、ウージェニーは94歳で亡くなりました。
ナポレオン3世には著名な批判者が二人、カール・マルクスとヴィクトル・ユーゴーだそうです。
■ヴィクトル・ユーゴとレ・ミゼラブル
妻は大好き、私は苦手。
この本は絶対に売れるとの見込みで、出版時の版権争いが激しかったそうです。フランスの挿絵画家エミール・バヤールによる少女コゼットの挿絵はたいへん有名です。この時代から、今でいうイラストレーターという仕事が存在していたそうです。
学芸員の方のまさに企画力でしょうか。大勢の来場者がいて驚きましたが、パリのブランド力はさすがですね。
結論、またパリに行ってみたい・・・・。
撮影機材 SIGMA DP2 Merrill
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