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2011年5月21日 (土)

初冬の天童荘 2010 (4)

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 天童荘を出て温泉街を歩きます。
 他の大型ホテルや、水車のある蕎麦屋さん、有名な天童の将棋駒を扱ったお店などを覗いてみます。将棋は中学生の時に父に教えてもらい少々やった程度ですが、久しぶりで懐かしく思い出しました。

 将棋の駒のお店には、天童織田藩の紹介が出ていました。織田信長の子孫というと、長男信忠、次男信雄、三男信孝、そして信忠の嫡男三法師(織田秀信)がよく出てきます。
 
 本能寺の変のあと、清洲会議で羽柴秀吉が三法師を織田家の跡継ぎとして擁立するわけですが、彼は関ヶ原の戦いに豊臣方として参戦後、徳川家から高野山に追放され若くして死ぬことになります。
 次男信雄は、徳川家康とともに小牧・長久手の戦いを行いますが、その後は豊臣方〜徳川方へどっちつかずの態度をとりながら、結局、織田家を実質的に継ぐ事になります。彼は、暗愚の将とは言われていますが長生きして、以降明治になるまで大名家としての織田家が存続したそうです。小幡藩(群馬県甘楽町)、高畠藩(山形県高畠町)という小藩を経て、天保二年(1831年)に天童織田藩が成立しました。わずか2万3千石でたいへん貧しかったそうですので、江戸幕府から優遇されていたわけではなかったようです。
 
 ウィキペディアを見ると、三法師の直系も現在まで健在との事で、ちょっと驚きました。ちなみに、三男信孝は柴田勝家側についたために、賤ヶ岳の戦いの後、羽柴秀吉により自害させられています。
 
 
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 JR天童駅に荷物を預けて、昨夜飲んだ地元酒造メーカー「出羽桜」の「出羽桜美術館」に出かけます。結構遠いなと思いながら歩きます。昔の邸宅に、韓国李朝の陶磁器や工芸品が多く展示されていました。付近は初冬の趣でした。
 
 
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 遅い昼食を食べて、天童から山形新幹線に乗り、山形駅に着く頃には、日もとっぷりと暮れて真っ暗でした。

 

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